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http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post_3.html 友達が教えてくれた。「あたしもう涙とまらんくなった。」って。早速読んだ。不覚にも涙した。これ読んだら川上未映子の文章の見え方が全然変わってくる。 この文章、一見大甘に見えるけどちがう。きちんと読めば彼女の覚悟が伝わってくる。 どこまで行ってもなんにもないねん、砂埃が舞って枯れ草が丸まったのがころがってんねん、誰もおらへんねん、それでも一人で歩いていくねん。って。 文章を書くというのはそういうことなのだと、いや、つきつめたらみんなゴッホのように生きるしかないんだと、そういう覚悟が伝わってくる。 以前、わたくし率 イン 歯ー、または世界」お、これなら読めるかも。というエントリーで、「ごっこ」と書いた。確信的女子供文学と書いた。その印象は変わらない。けれどもこれを読むと、ごっこの振りをしながら彼女が向かい合おうとしてるのは、人が生きる上での根源的で普遍的な問いなんだと分かる。 追記 女子供文学と書いたのは、女子供向けの文学という意味じゃない。男には書けない、大人には書けないと感じさせるものがあるというほどの意味。存在するということ。このもっとも根源的な問いに向かう一つの方法としての女子供なのかもしれない。彼女の特異な文体は、「世界が言葉でできているとしたら、言葉以前の世界を垣間見ることからその問いに触れてみよう」というアプローチとも読める。そして、言葉以前の世界から最も遠いところにいるのが大人の男ということになる。 |
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そうなんですよ。 |
MOTOKI 2009/01/07 13:53 |
あけましておめでとうございます&コメントありがとうございます。 |
isoya 2009/01/07 23:19 |
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